DEITOUDA
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2020/09/04
振り返る
俺が東京から札幌に戻ってきた頃には、母はたしか最初の癌にかかって手術も済んでたんじゃなかったっけな?





その頃はまだ母も元気でいろんな所に旅行に行ったりしてた。


それから数年、癌が転移して手術して取ってっていうのが何度かあって。


それが肺に再度出た辺りから段々弱っていっている感じはあった。
俺の姿からは想像できないかもしれないが、うちの母はよく運動する人で、昔は「母がボケたら絶対徘徊しまくるから将来大変だ」なんて冗談言ったりするような感じだった。
でも、歩くのがしんどくなってきて歩くペースが凄く遅くなった。
体力的な面など色々な理由はあったんだろうけど、肺の癌の摘出手術は行わなかった。
ホルモン剤治療で大きくなるのを抑えていっていた。

そんな感じの状態が数年続いた。


確実に弱ってはいるけどまだ大丈夫なんじゃないかと勝手に思っていた。

でも確実に日々弱ってきているのは感じていた。

口癖が「こわい」(北海道弁で気持ち悪い・気分悪いの意味)になっていた。


今年に入ってから具合が悪いからと寝込むことも増えた。



6月末。
俺が体調を崩した。
粉瘤のひどいやつになった頃だ。

母も体調が悪そうで次病院に行った時はもしかしたらまた入院するかもなぁなんて考えてはいた。

そんな中、俺が寝込んでいると母が部屋にやってきて俺に言った。


「兄ちゃんに助けてって電話したから」

ああそんなに具合悪いのかとは思ったけれども俺も体調を崩してたので「ああそうかい」ぐらいしか答えてなかったと思う。


ちょうどコロナで大変な時期。
兄はお互いの為にも会いに行かない方がいいだろうと思っていた頃だった。

そんな中での助けてコールに兄は駆け付けてくれた。


けど、話を聞くだけで帰っていった。
次病院に行く時には付いていくよみたいな話になってたらしい。



その病院に行くのをあと数日後に控えたある日の早朝、俺は母親に起こされる。
救急車を呼んで欲しいと。


急いで119に電話しようとすると母に止められる。


救急車呼ぶ前に兄ちゃんに電話して呼んでいいか聞いて!と。


いや、そんな場合じゃないでしょ!と言っても母はいや、兄ちゃんに確認してという。

言い合っても先に進まないので母の言う通り兄に電話。


俺に電話するより先に救急車呼べ!と怒られる。




後で母と話したらその時のことは覚えてないらしい。
私、そんなこと言った?焦って具合悪くて覚えてないわーと。




その日から凄い勢いで体調が悪くなっていく。


救急車で最初に癌を看てもらってる病院に行ったのだが、血圧が凄く高いぐらいのことしかわからなかった為に癌以外の体調を看てもらっている病院に車で向かいその病院に入院が決まる。

その頃はあれが食べたいこれが食べたいっていうくらいの元気があったので母がリクエストする食べ物を病院に差し入れにいったりした。

2週間くらいして母は退院してきた。

この入院の前辺りから具合が悪いので食事を作れないから代わりに作ってくれということが増えてきており、家事全般を俺がやることにしない?中途半端に半々でとかじゃなくて全般任せてみない?という話をしてたのだけれど、この入院をきっかけに「主婦業はもう出来ないって言われたからあんたに任せたから」と言われた。

嫌だという気持ちはなかった。
よし頑張るぞ!という気持ちで気合が入っていた。
母が入院した段階で母に言われる前に俺はそのつもりでいた。


退院してきた母は普通の食事が出来なくなった。
ほんのたまに食べれても極少量。
食べても吐くような感じ。

だから母のメニューは別メニューを用意するようになった。

しかし、母はほとんど食べない。
本人は「いやぁ今日は食べた!」なんて言ってた日も俺からみればほんの少量にしか思えなかった。
食べても吐く、食べなくても吐く、そんな日々の中具合悪さに耐えられなくなりまた前回と同じ病院に入院する。


この具合悪ささえなんとか乗り越えればまた戻ってこれるんだと思っていた。





そんなある日母の退院が決まる。
体調が良くなった訳ではなくて癌で看てもらっている病院に診察してもらう為の退院だった。

コロナの影響で病院から病院に直接行ってはいけないらしく(どの病院の考えでそういうことになっているのか不明)、体調悪いのに癌の病院に行く前日に一回退院して自宅に一泊することになった。

で、癌の病院に行った結果脳への転移が発覚する。
開頭手術出来るほどの体力も無いが、現時点で一番命に影響があるのが肺よりも脳の癌だということで放射線治療が決まる。
が、癌の病院にすぐに入院することは出来ず。
なぜならコロナ禍の真っただ中だから。


PCR検査を行いその結果が出るまで入院させることが出来ないのだという。


そのため、体調を崩したままの母との生活が始まる。

いつ何があるかわからないので入院の日までは俺が仕事を休むことになった。
1日だけ兄がうちに来てくれてその日だけ勤務に行く。
具合悪くなったらうちに入院してもいいよ!と前に入院してた病院が言ってくれてたんだけど母は自宅に居たいと希望した。
母の世話をするのは別に嫌じゃないんだけど、俺が目を離したり気を抜いた瞬間に何かあったら・・・と考えて精神的にとてもキツかった。
仕事にも行けないのでもう外にも出れない。
母が自分の部屋で俺に助けを呼ぶ時はスマホで電話するというルールを決めていたが、それまでは部屋から声を出せば俺に聞こえてたのでスマホを使わずに済んでいた。
この頃には声も大きく出せずスマホで用事を頼まれることが増えてきた。
母の入院日にほっとしたのを覚えてる。

まだこの頃は回復に向かうと思っていた。



母が入院した日の夜に母から電話が来た。

「寝る前の薬を飲ませて!私を寝室のベットまで連れて行って!」と。

脳に放射線を当てる治療なので患部だけじゃなくて良い部分にも影響はどうしても出てしまうという話は聞いていた。
それが最初の日からこんな形で出てしまうのか。

俺は「今、お母さんがいるのは病院だよ!わかってる?」と訊ねるとそれは理解している様子。
病院のベットでは背もたれが立っていて寝れないという。
だから寝室で寝たいと。

わかってるとわかってない部分が混ぜこぜに存在する。
これって本人が一番ショックな状態だろうなと思った。

なるべく本人を傷つけないようになるべく優しく「だったら看護婦さんにお願いしてごらん」と答え電話をきった。

母はすぐにまた電話をしてきた。
看護婦さんが来てくれたから心配しなくて大丈夫。と。



次の日の早朝4時頃に母から電話があった。
昨日は電話で変なことを言っちゃってごめんね。と。



その後、何度か電話があったがある日から全然電話が来なくなった。

病院に何を持ってきてほしいとかいう連絡は本人からではなく病院からかかってくるようになった。


そこからは母の様子は病院と連絡を取り合ってる兄から伝わってくる情報しかなかった。
その情報が入る度に母の体調が悪化しているのがわかった。



とりあえずの放射線治療が終わった。


今後についての話を病院に行って説明をうけた。


だいたいの余命を宣告された。


自宅に戻るのは無理であろうこと、今後は緩和ケアの病院に転院する方がいいということ。



昨日、母の転院の日が決まったと連絡があった。




これが現在の母と家族の状態である。